【多可ラジオ】途絶えていなかった歴史 ~日本の和紙文化の礎「杉原紙」のこと(ゲスト:安平勝利/那珂ふれあい館)

多可ラジオは、兵庫県多可町の地域おこし協力隊・黒川直樹が、毎回ゲストをお招きし、お話を伺う30分番組です。

本日のゲストは安平勝利さん。

多可町の施設『那珂ふれあい館』の館長として、多可町の文化財調査や歴史の伝承と啓蒙を行う安平さんに、多可町発祥の伝統工芸「杉原紙」について教えていただきます。

和紙文化の礎にもなったという、この杉原紙。どのような歴史と流れ、役割があったのでしょう?

さっそく伺います!

杉原紙について安平館長にインタビュー

トークのトピック

▼前半
寺は住民課だった
庄屋の役割
和紙の「強さ」が紙社会の礎
いまの子は、「いいくにつくろう鎌倉幕府」の語呂合わせを知らない?
江戸時代までの日本に、文書を残す義務はあった?
多可町~姫路は歩いていける距離だった
 伊能忠敬の行程
読み書きができた江戸時代の人々
 寺子屋の存在

▼後半
杉原紙が紙文化、紙社会のルーツ
 買いやすい価格の和紙、杉原紙
 紙を白く、柔らかくするのはあの食材?
 「ここから紙の文化が広がった」
 摂関家が果たした役割
 地名を関する和紙は、杉原紙は日本最古

江戸時代の杉原紙
 献上品などの格別の高級品のほか、鼻紙に使われるなど、様々な商品に使われて普及
 日本全土に広がり、製法も原料も独自に発展
 「杉原紙」は固有名詞から代名詞に変わった
 紙の文化を広げた多可町だから、紙の記録も大切に
 多可の村文書は杉原紙だった  慣例としてかかった紙漉きの税金

明治、大正までは多可町で杉原紙を漉いていた
 その後、原料の収穫減や洋紙の流入で紙漉きは衰退
 
 当時の流れ
 https://sugiharagami.takacho.net/history/#h1

 大正末期まで紙を漉いていた、宇高弥之助さんの技術を継承
 「伝統は途切れていない」

▼クローズ
行商、交流の拠点だった中区
江戸時代以降、地域経済・文化をけん引した播州織

URL

那珂ふれあい館
杉原紙研究所
多可ラジオ
805たんばエフエム

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取材・録音・撮影