和紙文化の礎となった杉原紙。
材料の「こうぞ」は藤原家の当主・直営農地で栽培され、やがては品質を保ちながら増産可能な仕組みを作りあげました。
そんな杉原紙の体験講座が開催されます。
コース内容は2つ。
1.和紙づくりコース
期間:2023年1月~3月
場所:杉原紙研究所(兵庫県多可町加美区)
楮刈、楮揃え、紙漉き、紙干しなど、こうぞが紙になる工程を体験できます。
2.杉原紙を知る
期間:2023年2月~3月
場所:那珂ふれあい館(兵庫県多可町中区)
杉原紙の歴史 ―― 古代から近世、そして近代を学習。杉原紙と多可町の関わりのみならず、和紙の歴史/和紙文化に詳しくなれるコースです。
どちらも、お申込みの締切は2022年12月20日。
詳細や日程、受講料はチラシをご覧ください。
杉原紙について安平館長にインタビュー
トークのトピック
▼前半
寺は住民課だった
庄屋の役割
和紙の「強さ」が紙社会の礎
いまの子は、「いいくにつくろう鎌倉幕府」の語呂合わせを知らない?
江戸時代までの日本に、文書を残す義務はあった?
多可町~姫路は歩いていける距離だった
伊能忠敬の行程
読み書きができた江戸時代の人々
寺子屋の存在
▼後半
杉原紙が紙文化、紙社会のルーツ
買いやすい価格の和紙、杉原紙
紙を白く、柔らかくするのはあの食材?
「ここから紙の文化が広がった」
摂関家が果たした役割
地名を関する和紙は、杉原紙は日本最古
江戸時代の杉原紙
献上品などの格別の高級品のほか、鼻紙に使われるなど、様々な商品に使われて普及
日本全土に広がり、製法も原料も独自に発展
「杉原紙」は固有名詞から代名詞に変わった
紙の文化を広げた多可町だから、紙の記録も大切に
多可の村文書は杉原紙だった 慣例としてかかった紙漉きの税金
明治、大正までは多可町で杉原紙を漉いていた
その後、原料の収穫減や洋紙の流入で紙漉きは衰退
当時の流れ
https://sugiharagami.takacho.net/history/#h1
大正末期まで紙を漉いていた、宇高弥之助さんの技術を継承
「伝統は途切れていない」
▼クローズ
行商、交流の拠点だった中区
江戸時代以降、地域経済・文化をけん引した播州織