水に落ちても流されず
火に落ちても焼けない
上の一文はタイ王国のことわざ。
「事故や災害に見舞われようと、心の正しい人は助かる」を意味し、「国家・王族の財産に触れてはならない」という戒めも込められているのだとか。
王室を崇敬する仏教国家(約95%が仏教徒)、タイ王国ならではの人生観が感じられます。
本日、ご紹介するお祭りは、ことわざと真逆……?
燃えて、灰になり、水に流れる ―― お焚き上げ「とんど」をレポートします。
とんどって?
「とんど」とは、正月のお焚き上げ行事。
九州地方で1月6日か7日、それ以外の地域だと14日もしくは15日に行われるのが一般的です。
この祭りを象徴するのは、写真のように組み上げられた「竹・笹」のとんど。
地域によって円柱、円錐、箱型など形は異なるものの、基本的には地元で採った竹材や松・飾しめを組み上げ、前年の御札や正月の飾り・縁起物を寄せ合わせ。
これに火を点け、先祖の供養や鎮魂、悪魔祓い、新年の無病息災を願います。
祭事としても歴史があり、たとえば法隆寺に伝存する文書『鵤御庄当時日記(いかるがのみしょうとうじにっき)』。
この書物に、室町時代の催しが記されています。
さらに、かつては陰陽師※が取り仕切ったとも言われる、とんど。
飛鳥~平安時代には原型があったようです。
※陰陽師:飛鳥時代以降、日本にあった官職・専門職のこと。「陰陽道」に基づき、律令規定を維持・運営。政治を始め、占いや呪、祭を司った。天文学や暦の編纂も。最も有名な陰陽師は、平安時代の安部清明(あべのせいめい)。
とんどの豊かな地域性
とんどは木の人形を燃やしたり、石像を投げ込んだりするなど、地域性が如実に現れるところも特徴です。
呼び名も「どんど」「ドンドンヤキ」と濁音がついたり、左義長(さぎちょう)、サイトウなどまったく異なる名前がついていたりします。
この日、取材させてもらった兵庫県多可町・岸上集落のとんどは、「字が上手になるように」という願いを込め、子どもたちが正月の書き初めを焚き上げるのが恒例なのだとか。
岸上のとんど ~3年ぶりのお焚き上げ
2023年1月14日(土)、そして翌15日(日) ――
多可町内の60を超える集落の多くが、コロナ禍を経て3年ぶりにとんどを実施。
岸上・加都良神社も80人以上の参加者で賑わいました。
集落の方が持ち寄った飾りをとんどにくくりつけ、門松を立てかけ、夕方には上の写真のような状態になりました。
参加者は女性チームが炊いた豚汁をすすり、みたらし団子を頬張りながら点火を待ち、日も落ちて18時30分 ――
竹の根本にくべられた小さな火は、あれよあれよという間に様変わり。
煙を吐き出す火柱になりました。
そうそう、とんどなど、火がシンボルの祭礼は、見守る人が火や煙に思いを託し、また、お世話になった方々も一緒に天に昇るようなイメージがありませんか?
ところが先日、ある方に、こんなお話を伺いました。
「新年に迎える祖霊(ご先祖さまの霊)は、山から降りてくるという考え方があるんですよ」
多可町は山間の自治体。
しかも町を構成する八千代・中・加美の3地区に、それぞれ守り神ともいえる山がそびえます。
となると、この町のとんどの火柱は、ご先祖をお送りすると同時に、お迎えするための橋のようなものかもしれない……?
そう思いながら炎を眺めたら ――
さて、とんども終盤。
火柱は縮んだものの煙の激しさは変わらず、風に揺られ、神話に現れる獣、その首、その頭のようにうねります。
その威容にあてられたのでしょうか?
子どもたちが大声を発しながら、火の周りをどん、どん、どんと駆け回ります。
火は消えるけれど
焼け崩れたとんどは、夜のうちに水で消火され、翌日には跡形もなくなります。
でも、形がなくなるからといって、何も残らないのでしょうか……?
たとえば、どんどの火柱を目撃した子どもたちは、竹や笹、飾りが焦げる臭いを記憶して、将来、おなじような臭いを嗅いだら、故郷・岸上のとんどを思い出すかもしれません。
とんどの火は消えますが、体験は心に残って、触発されたら蘇える。
それは脳裏に、心に火が点くということ……?
だとしたら、記事の冒頭に挙げたタイ王国のことわざ ――
水に落ちても流されず
火に落ちても焼けない
これは、とんどの本質を言い当てているのかもしれません。
情報提供のお願い
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naoki_kurokaw-kuroko@yahoo.co.jp
参考資料
現代古語類語辞典(三省堂)
明鏡国語辞典(大修館書店)
世界ことわざ大事典(大修館書店)
文化人類学事典(弘文堂)