霊峰・白山を南に望み、兼六園まで真っ直ぐ歩いて15分 ―― 情緒溢れる金沢市石引で約400年に渡り、お酒をつくり続けてきたのが「米を発酵させる会社」こと、株式会社福光屋(以下、福光屋)です。
金沢で最も歴史が古い酒蔵は、白山から届く「百年水」を仕込み水に、醸造アルコールや糖類などを添加せず、純米酒だけを製造(生産高1万石以上の酒蔵では日本初の純米蔵)。
この福光屋の杜氏が板谷和彦さんです。
酒造りを知り尽くした職人は、入社時から多可町との関わりが深く、「長いときは1ヶ月、寝泊まりしながら山田錦の栽培に取り組んだ」そうです。
そんな板谷さんに、福光屋ならではの酒造りや杜氏の仕事、多可町の思い出などを語っていただきます。
福光屋の歴史
福光屋は寛永2年(1625)に創業した、金沢で一番古い酒蔵です。
弊社が「百年水」と呼ぶ水は、雨雪が地中に浸み込み、カルシウムやマグネシウムなど、酒造りに欠かせない成分を吸収し、酒蔵まで流れてくるもの。白山から100年かかって届くんです。
この「百年水」と契約栽培の酒米に恵まれ、金沢の地でお酒造りを続けてきたのが福光屋です。
伝統だけではなく、時代にあったお酒造りを目指す。それが弊社の姿勢です。
たとえば昭和60年(1985)、福光屋は松太郎が十三代目の当主になり、マルチブランド化を果たしました。
マルチブランドとは「加賀鳶」「黒帯」「福正宗」などの銘柄を独立させ、製造・PRしていくこと。
現在は10を超えるブランドを展開し、金沢でしか買えないお酒や酒類卸だけに出荷する銘柄など、さまざまなチャンネルがあります。
「旨くて、軽い」という味わいを基本に、全商品を純米造りとし(「純米蔵宣言(2001年)」)、どれもが醸造アルコールや糖類等が無添加だったりするところも、弊社の特徴です。
15名の蔵人と酒造り
私は高校生になる前から、福光屋を知っていました。13代目に代替わりしてから、会社のロゴマークが一新されたり、純米蔵宣言などがあったりと、新鮮に見えたことを覚えています。
まぁ、10代の頃は、お酒造りのことは全く知らず、米を機械に入れて、蛇口をひねったらお酒が出てくるとさえ思っていたんですけど……(笑)
それにしても、酒蔵といえば老舗感が強く、閉鎖的な世界に思えていたところ、「どんどん改革を進める福光屋、ずいぶん違いそうだ」と。
その後、大学で米の栽培などを学び、卒業後のことを考えているとき、福光屋が「酒米を作れる人材を探している」と聞き、ご縁も得られ、入社しました。
いまは杜氏として20代から50代まで、15名の蔵人と一緒に酒造りをする日々です。
朝一番の習慣 ~杜氏としてのこだわり
私はちょっとしたルーティンがあって、朝は一番に仕込み水を飲みます。こうすることで身体の状態がわかるんです。
酒米を仕込んでから、麹や醪(もろみ)の出来など、日々、味や香りを確かめるのが杜氏の仕事。お酒との対話は、感覚が澄んでいないとできないんです。そのため、朝は水を飲み、舌や鼻の状態を確認するところから始めます。
感覚に加え、数値も大事です。たとえば、酒米を洗ったり、水に浸けたりするとき、浸ける時間は細かく、ときには秒単位で調整し、すべてをデータとして記録します。
蓄積したデータと経験・勘、これらを掛け合わせる蔵人、現代的な製造設備が一体となって、弊社はお酒を造っています。
福光屋と坂本集落
弊社は多可町の坂本集落(中区)に、村米制度※でお世話になっています。
お付き合いは1960年(昭和35年)、先代の社長の時代から60年間以上。検見(酒米の出来を確かめ、情報交換する催し)だったり、全国の鑑評会で金賞を得るような高級品種を坂本産の山田錦で仕込んだり、いまも深いお付き合いが続いています。
※村米制度:播磨地方の酒米産地と特定の蔵元との間で結ばれる酒米取引制度のこと。契約栽培の一種。
山田錦の収穫コンクール
個人的には平成3年(1991)に、初めて多可町を訪れました。
当時、20代前半でヒゲを生やしていたので、車で迎えに来てくださるJAの職員さんに、そのヒゲを目印として伝えていたのですが、当日、剃ってしまっていまして……なかなか見つけてもらえず(笑)
酒造りの経験が浅い若者に、大事な田植えや刈り入れ、土壌・害虫調査など、様々な経験を積ませてくれたのが坂本集落。
1ヶ月くらい、中町ライスセンターに泊まり込んでいると、天気が悪くて田んぼに出られない日もあるんですけどね、夜は集まってお酒を飲んだり、麻雀をしたり(笑)
10年ぐらい通わせてもらいました。
10年間、いろんな取り組みをさせていただきました。印象に残っているのは山田錦の収穫コンクールです。
継続する間に、収量ではなく品質にこだわった評価基準に変え、これにあわせ、農家さんは肥料や栽培方法を工夫してくださって、出品された山田錦で少量のお酒を仕込み、みんなで唎き酒をして。
このコンクールをきっかけに、弊社が大吟醸酒を開発したこともあるんですよ。
集落の皆さんは、いつでも本当によくしてくれました。
時代と矜持を掛け合わせ ~10年後の日本酒を思って
多可町で学んだこと、本当にたくさんあるんです。
一つは、売れるお酒のこと。私が蔵人になりたての頃、中町(現・多可町中区)でだけ売れるお酒がありました。
それは、すごく甘いお酒だったんですが、製造量の4割以上が、中町に出荷されていました。
おそらく……中町の皆さんの味覚や料理の味付けによく合って、このお酒が好まれていたんだと思います。
酒造りにおいて、「万人受けするような『究極の一本』みたいなことじゃないんだ」と気づかされた出来事です。
飲料の呑み方にしても、いまはグラスやコップを使わず、ペットボトルから直接口にすることが多いじゃないですか。
こういう飲み方は、器を介するよりも飲み物がぐっと口の奥に入ってくるので、舌の奥で味わうことになります。となると、少し苦みのある飲料の場合、ダイレクトに感じられるんです。
最近、ビールを飲めない若い人が増えていると言われますよね。
ひとつには、ペットボトル飲料が増えてきたこととつながっていると思います。若者がペットボトルの飲み方に慣れ、ビールにしてもぐいっと含むため、苦みが直接、舌の奥を刺激し、それを嫌がっているんじゃないか。
では、お酒だったらどうか ――
お酒造りにおいて、福光屋としてのポリシー、こだわりは大事です。長年、受け継がれてきた精神や技法があり、蔵人として、杜氏として譲りたくない部分もあります。
ただ、それだけではダメで、マーケットの状況や消費者のニーズ、食生活などを鑑みながら、時代にあったお酒を造っていくべきだと思うんです。
「酒が脇役である」ことも忘れてはいけません。主役はあくまでも料理であり、楽しい時間。お酒は引き立て役として、そこにあるものだと、弊社は考えているんです。
だからこそ、5年後、10年後の食卓はどうなるか?
お酒を飲む場面はどうか? 集まる人々は……?
いつも、そんな想像をしています。
多可町日本酒フェスタ2023
と き 令和6年2月23日(金・祝)午前10時~午後3時
ところ 多可町文化会館(ベルディーホール)
屋内(大ホール・ロビー)、屋外(噴水広場等)
多可町ゆかりの酒蔵16蔵のお酒を飲み比べできます!
お酒を飲まない方も楽しめる企画あります♪
★お楽しみ抽選会
ご来場者全員参加できる
(アンケートに答えるだけ!)
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