合格祈願の知恵の輪くぐり ~加美区丹治の伝統行事「文殊まつり」

澄んだ山を背景にしてゐる寺の山門を潜ると、はっとするやうな空の青さである。寺の庭に萩の花が咲き、松風がかうかうと鳴ってゐる。これも透明な輪となった ―― 『透明な輪』原民喜

文殊まつりって?

「丹治文殊の郷」(紫雲山日光寺/兵庫県多可町加美区)の「文殊堂」で1月22日(日)、「文殊まつり」が開催されました。

丹治文殊の郷の見晴らし。目の前に広がるのは兵庫県多可町加美区。
日光寺は臨済宗妙心寺派の寺院。西国八十八ヶ所の霊場に数えられる。

智慧の文殊堂がまつる文殊菩薩。
大輪をくぐり、その「知」にあやかる式事が「文殊まつり」です。


参列者は御札を買ったり、焚き火にあたりながら語らったりと、思い思いに過ごします。
住職の読経が始まる頃には、境内に置かれた木椅子に横一列。
お経に耳を澄まし、その終わり、「知恵の輪」をくぐって参拝します。

「知恵の輪」と呼ばれる鉄製の輪

輪をくぐる祭り

全国には、さまざまな「輪くぐり」の祭りがあります。
その多くが無病息災を祈願。
祭りの起源を日本神話に置き※、輪も茅(ちがや/ボウ:イネ科の草)で作ります。

※茅の輪くぐりの起源:発端は備後国の蘇民将来(そみんしょうらい)の伝説。旅中だったスサノオノミコトが宿を探した。泊めたのは蘇民将来。貧しいながら、心からもてなした。数年後、スサノオは蘇民将来に「疫病を逃れるために、茅の輪を腰につけなさい」と言付け。蘇民将来は難を逃れ、ここに茅の輪くぐりの起源があるとされる。

ただ、こうした茅の輪くぐりの祭事は、日本神話に由来することからもわかるように、ほとんどが神社で行われます。

かたや多可町・丹治の「文殊まつり」はお寺の催し。
かつ、仏教界を代表する知の化身・文殊菩薩を敬う祭事です。

紫雲山日光寺の境内に据えられた鉄製の大輪は、仏具の一つ「輪宝」を象ったのでしょう。
世に仏法をひろめるというイメージ「車輪」(法輪)も思わせます。

これら仏教的な属性と輪くぐりが相まった儀礼は、全国的にも珍しいかもしれません。

受験生に合格祈願のお土産

そんな丹治の「文殊まつり」。
昭和30年代に一度消滅しましたが、1991年(平成3年)、知恵の輪を建立するなど、装いを新たに蘇りました。

現在は、時期になると丹治集落が多可町加美区の中学3年生に向け、葉書で参加を呼びかけ。
これを持参した学生が、合格祈願のお菓子やお札をもらえます。

絵馬を受け取った学生はその場で目標を書き記し、境内の絵馬掛けに吊るすのが習わし。

2023年度、盛況だった文殊まつり

以前、文殊まつりで読経する住職は、籠でお連れしたという

住職の読経が始まったのは午前10時過ぎ。
厳かな境内に、倍音がかった声がよく響きます。
パチっパチ……パチッ……時折、柏手のように高鳴るのは焚き火の薪です。

ここ数年はコロナ禍で、ちいさな集まりだったという「文殊まつり」。
2023年も食べ物の提供や餅投げは自粛されましたが、町内の中学生など80名を超える参列者で盛況でした。

読経を終えた住職をお見送りし、知恵の輪をくぐる参列者も少なくなりました。
インタビューするたかテレビのカメラ前、照れくさそうに肩を叩き合あう受験生の一群。
これぞ大団円 ―― 2023年の文殊祭りも終幕です。

みんな、願いが叶うといいね。

(2023年2月7日)

取材後記 ~「文」と「殊」の菩薩

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以上、「文殊まつり」のレポートでした。

ところで「文殊まつり」の象徴、文殊菩薩とはどんな存在なのでしょう?

「3人寄れば文殊の智慧」という諺があるように、「智」を司るとされる文殊菩薩。
大乗仏教の世界では、あらゆる菩薩を仏道に導く者として、上位に存在します。
ネパールでは創造神として崇められ、日本においては学問・技芸を司る弁財天と重ねられることもあるそうです。

持ち物や乗り物の組み合わせは多様。
ただ、その多くが、右手に「知剣」と呼ばれる一振りを握ります。
するどい切れ味の剣を携え、知のすべてを司る菩薩 ――
ご加護があったら、頭が冴える気がしますね。

ところが、「文」と「殊」の語源をたどると、ゾクっとする新たなイメージが出現するのです。

入れ墨と死罪

まず、「文」の字です。
言葉の成り立ちを遡ると、人の正面の姿をかたどり、さらに胸のところに「入れ墨」の模様を刻んでいるとされます。

大人になる儀礼として、身体に字や紋を刻みつける習わしは、各大陸の様々な民族が伝承。
古代中国では、亡くなった人の胸に「✕」の記号を刻んだことから、「凶」や「胸」の字が生まれたともいわれます。

「殊」に至っては、「ころす」の意。
罪を告発し、「死罪に処す」執り行いを第一の語源とするそうです。

また、「ことなる」という意味も有する「殊」の字。
現代の裁判制度に明らかですが、被告人の言動・行動を法律に照らし合わせ、それとの「異」を文章化(罪状)。
ここから罪の程度を測り、一定期間の自由を制限することを罰とする「罪と罰」の仕組み、その原型が「殊」の1字に透けて見えます。

処罰の根拠となる法律=言葉=「文」の役割も重要ですね。

これら、「文」と「殊」の2文字を冠する文殊菩薩。

仏教の宗派によって、憤怒の化身や異形、あるいは怪物として描かれます。


暮らしの手立てを生み出したり、安全で平和な営みをもたらしたりする反面、武器や毒にもなり、ときに諍いを引き起こす ――

仏教の国・タイ王国にも、智慧や能力の過信を戒める、こんな諺があるそうです。

頭は知識で洪水、身の振り方は知らない

古代の人々は「智慧」の裏表、なまなましい両面を文殊菩薩に託したのでしょうか?

となると、「文殊まつり」。
銀の大輪をくぐるとき、胸のあたりを剣先に狙われた感覚があれば、それは文殊菩薩に、こう訊ねられているのかもしれません。

知に臨む、心づもりはあるか ―― ?

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参考資料
字通/白川静(平凡社)
世界ことわざ大事典(大修館書店)
文殊菩薩の信仰をめぐって/スダン・シャキャ

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